みなさん、こんにちは!
《女帝力》ライフクリエイターのひとみんこと、きむらひとみです。

皆様、新年あけましておめでとうございます。

謹賀新年

《女帝力》覚醒プロジェクト・リーダーのひとみんこと、きむらひとみです。

今年も、このブログを読んでくださって、ありがとうございますピンクハート

 

新年、といえば、年賀状などの挨拶に「謹賀新年」というのがありますね。

「謹んで新年のお慶びを申しあげます」というのもあります。

 

日本人は、「謹む」という言葉が好きですよね。

 

「つつしむ」というのは、他に「慎む」というのもあります。

 

この2つ、どう違うのか、というと、

 

謹む = うやうやしくかしこまる。

慎む = あやまちや軽はずみなことがないように気をつける。

 

ということのようです。

 

「謹む」のほうは、「謙虚な姿勢」ということですね。

 

では、「謙虚さ」ってどういうことなんでしょう?

 

日本には、「へりくだる」という文化がありますね。

敬語、なかでも「謙譲語」なんていうものがあります。

 

へりくだる = 他人を敬って自分については控えめな態度をとる。

 

ということなのだそう。

 

他人を敬うというのは、とても素晴らしいことだと思うのですが、問題は「自分については控えめな態度をとる」という部分。

 

これを、「自己卑下」や「自分の過小評価」と勘違いしていませんか?

 

たとえば、

「私なんて、とてもじゃないですけど。」とか。

「私なんかが、○○してよろしいのでしょうか?」とか。

 

また、贈り物をするときに、

「つまらない物ですが….。」とか。

 

これ、全部「自己卑下」。自分を小さく見せている行為です。

 

本来の自分を、わざと小さく見せることはありません。

自分を小さく見せることが、相手を敬うことではないんです。

 

あなたは、あなたのままでいい。

 

では、「謙虚さ」ってどういうことかというと、

 

相手を称える。

相手を受け入れる。

 

と、いうことですね。

 

自分とはまったく違う価値観であっても、

「あぁ、そうなんですね。」と受け入れる。(賛同も同意も必要ない)

 

相手がうれしそうに話していると、

「よかったですね。」と相手を称える。(称賛する必要はない)

 

自分に大きなチャンスを与えてくださった方には、

「こんな大きなチャンスをくださって、ありがとうございます。」と御礼をいう。(できるのだろうか?という、自分の不安を見せる必要はない)

 

贈り物をするときには、

「お口に合うかどうかわかりませんが。」という。(相手が気に入るかどうかは、相手の勝手)

 

どれも、自分を過小評価するような言葉は入っていません。

 

これまで、何気なく使っていることば。

 

「慣習でそういうのが無難だから」と、もし思っているのなら、それ、誰から教わったものですか?

 

「慣習」は、人から言われたり、人がやっていることに倣ったりするものではなく、あなた自身が選んで創っていくものだとしたら?

 

今年は、自分が何気なく使っているコトバに、意識を向けてみませんか?

 

.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆

LINE「豊かさのチカラ《女帝力》」への

お友達登録がまだの方は、

「友だち追加」をしませんか?

《女帝力》ライフクリエイター きむらひとみが

ありのままで、受け取りながら

豊かに生きるための、

皆様の気づきに役立つ

ヒントや情報を

不定期ではございますが

LINEから発信して参ります。

ぽちっとよろしくお願いします🤗💕

LINE友だち追加