努力は人に言われてするもんじゃない

みなさん、こんにちは!
《女帝力》ライフクリエイターのひとみんこと、きむらひとみです。

 

「辞書を書き換えたいコトバ」シリーズの2つめは「努力」です。

(1つめは、コチラ)

辞書を書き換えたいコトバ〜その1「期待」

 

「努力」ってコトバ、なんか辛いイメージってありませんか?

「努力」という言葉の意味を、辞書で調べてみたところ、こうありました。

 

目標の実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。

 

「目標の実現のため」というところまでは納得できるのですが、それに続く、「心身を労してつとめること。ほねをおること。」というところが、「努力」=「〜しなくてはいけない」というイメージに繋がっているように思えてなりません。

 

「努力」は自覚するものじゃない

私が思う、本来の「努力」というのは、

「自分の目標のために、楽しみながらいろいろと工夫をすること」

だと思います。

だから、自分で「努力している」という自覚はない。

それが、本来の「努力」という言葉のあるところだと思うのですね。

自分で、「努力してますから。」という方は、「しんどいことを、がんばってやっているんですよ。」っていう意味でおっしゃっているように思います。

「努力」を自覚しているというのは、「本当はやりたくもない、辛いことを一生懸命やってきた。」ということ。

やりたいことを楽しみながらやっていることなら、こうは言わない。

だから、「努力」は自覚するものじゃないんです。

 

「努力」は人からいわれてするものでもない

「おまえ、もっと努力しろ!」

「努力しなさい!」

親や上司、先生、指導者などから、こう言われたことは誰でもあると思います。

先にも書いたように、そもそも「努力」という言葉のもつところは、「自分の目標のために、いろいろと工夫をしながら、楽しんでいること」。

ならば、人から言われてするものではありません。

知らないうちに、自分で考えて、楽しみながら工夫していくことでしか、自分の本当の目標は達成できない。

そう、私は思います。

 

「努力」は、人の才能を称える言葉

「努力」という言葉の在り方は、

「あの人、努力しているよね〜。」と、自分の目標を達成するために、いろいろと工夫している人のことを称える言葉だと私は思います。

「努力」を無自覚で、楽しみながらできること、それが「才能」というものです。

人よりもカンタンにできてしまうことも「才能」ですが、人よりもどんなに時間がかかっても、自分は苦にもせず、ずっと工夫をし続けることができることも「才能」です。

 

「しんどかった」「辛かった」と素直にいおう

「努力しましたよ〜。」というのではなく、

「正直、しんどかったです。」

「辛い、と思ったことが何度もありました。」

と、素直に言っちゃいませんか?

そして、人に「努力しろ。」と、努力を強要するのもやめましょう。

「努力しろ。」ではなく、「工夫しろ。」と言ってみてはどうでしょう?

「工夫」というのは、「あれこれと考え、よい方法を得ようとすること。」ということなので、目標達成に向かう気持ちを持ちやすくなるように思います。

「努力」という言葉には、本来、がまんも忍耐も、本人は感じていないものである、ということ。

無自覚なもの、それが「努力」というコトバであるというのが、標準になる日が来るといいな、と私は思います。

 

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